2015年12月9日水曜日

遠野物語 二七話

早池峯はやちねより出でて東北の方宮古みやこの海に流れ入る川を閉伊川へいがわという。その流域はすなわち下閉伊郡なり。遠野の町の中にて今はいけはたという家の先代の主人、宮古に行きての帰るさ、この川の原台はらだいふちというあたりを通りしに、若き女ありて一封の手紙をたくす。遠野の町の後なる物見山の中腹にある沼に行きて、手をたたけば宛名あてなの人いでべしとなり。この人け合いはしたれども路々みちみち心に掛りてとつおいつせしに、一人の六部ろくぶに行きえり。この手紙を開きよみていわく、これを持ち行かばなんじの身に大なるわざわいあるべし。書きえて取らすべしとて更に別の手紙を与えたり。これを持ちて沼に行き教えのごとく手を叩きしに、果して若き女いでて手紙を受け取り、その礼なりとてきわめて小さき石臼いしうすをくれたり。米を一粒入れてまわせば下より黄金づ。この宝物たからものの力にてその家やや富有になりしに、妻なる者慾深くして、一度にたくさんの米をつかみ入れしかば、石臼はしきりに自ら回りて、ついには朝ごとに主人がこの石臼に供えたりし水の、小さきくぼみの中にたまりてありし中へすべり入りて見えずなりたり。その水溜りはのちに小さき池になりて、今も家のかたわらにあり。家の名を池の端というもそのためなりという。 
(出典:青空文庫

なにこれ?

柳田國男の「遠野物語」二七話、「池端の石臼」です。話の中身は知らなくても遠野物語の名前くらいは聞いたことがある方もいるかもしれません。

どういう意味?

早池峰山から出て東北の宮古湾に流れる川を閉伊川っていって、流れてるあたりを下閉伊郡っていうよ。遠野の町に今は池端っていう家があるけど、そこのご先祖様が宮古に行った帰りに閉伊川の原台の淵とかいう近辺を通ったら、若いねーちゃんに手紙を渡されたんだって。「遠野の背後らへんにある物見山の中腹にある沼で手を叩いて、出てきた人に手紙渡してね♡」だってさ。この子はOKしたものの歩きながら気になっていろいろ考えてると、巡礼僧に会ったんだって。この坊さんは手紙を読んで、「これ持ってったらおまいによくないことがおきるよ!手紙捏造しよう!」って言って別の手紙を渡したんだって。んでこの子は沼まで行って、ねーちゃんに言われたとおりに手を叩いたらこれまた若いねーちゃんが出てきた。手紙を渡したら「こ、これ…お礼です///」ってめっさちっこい石臼くれた。その石臼に米を1粒入れて回すと…なななんと下から金が出てきた!この石臼のおかげでこの家はちょっと金持ちになったよ。でも嫁さんが欲張りで「1粒じゃ足りん!」といっぺんにたくさん米を入れたら、石臼がころころ転がって主人が毎朝石臼にお供えしてた水たまりのちっさいくぼみにはまって見えなくなっちゃった。その水たまりは小さい池になって、今でも家のそばにあるよ。だから家の名前を池端っていうんだって!

地名はがんばって調べたけど、「原台の淵」っていうのがどのへんかわかりませんでした。ごめんなさい。

元の手紙になんて書いてたんだよ!とかよくないことってなんだよ!とかねーちゃんたち何者だよ!とか質量保存の法則どうなってんだよ!とか石臼の中で常温核融合でも起きてんのかよ!とかいろいろ疑問はあるけど、なんか強欲な嫁さんって昔話にちょいちょい出てきますね。舌切り雀とか…あと何だろ。

ちなみにこの池端家は池端精米所として健在で、石臼の落ちた池のあった場所には祠を建てて石臼大明神誰だ今の)を奉っているそうです。

だから何だよ?

実は、母方の祖母がこの池端家の人間で、若い頃は朝早く起きて店の手伝いをしていたそうです。

自分自身は盛岡市産まれで、産まれてすぐ愛知県に引っ越したので池端家はおろか遠野市にも行ったことはないのですが、いつかはルーツをたどりに行ってみたいと思っています…と、誕生日に物思いにふけってみました。

といっても、この記事書いてるのはもっと前なんですけどね。

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